04052020

朝ごはん、父の食べかけのドーナツ。まだ小麦食ってます。内科の医者の顔ももう思い出せない。しかし脱衣所で父親と裸で鉢合わすことだけは二度とするかと細心の注意を払ってます。ちなみに母親は、私が頼み事をするとき「まま〜?」と声をかけると「ままじゃないよ〜」という。じゃあ誰だよ。

 


最近人の心の使われてない文章が読めない。コラムや小説や詩は相変わらずスルスルと脳が受け入れるのに、'心'の使われてない文章が理解できない。頭で反芻しても、堂々巡り。説明書や取引先とのメール、領収書でさえも'もう一度お試しください'という脳の信号がでる。脳が次の指示を出さないせいで理解しないという意味。ということは、煙たい人からの言葉も自動的に受信されなくなるのでは…?と思ったけど煙たい人も擦り減らしたくない心をわざわざ使ってその嫌味をぶつけてくれるのだ。この時に思い出すのは削りたての生ハム。バルとか呼ばれる居酒屋でどこの国籍かわからん男性が削ってくれる薄くなった豚の足。誰かが私に悪口をいうとき、心も生身だったとして、あのように解体され旬の旨みを虚無顔でスライスしてくれるわけです。あの足、美味いよね。

 


人種差別以外で何があなたを本気で怒らせるの?という質問に真剣に考えてみた。自分が何に対して腹を立てるかということについて幾度か考える機会があって、雑な統計を一瞬でみる。

'ない'ことを'ある'と言われること。逆も然り。

簡単に言ってしまえば真実に忠実でいたいのだ。

事実、私は他人の嘘が好きである。嫌な勘を持っていて、人の嘘を見抜く能力に長けてることを女だからという理由にはしたくないんですけど、人の嘘を瞬時に感じとり、それを表情に変換させないように完璧な相槌を打つのだ。

嘘でもいいじゃん、素敵ならって話です。私はテレビドラマが好きで、それと同じ理由です。

おもしろいならそれは嘘じゃなくて芸で。

芸のない嘘や、病み方はするなと私は何度も言う。

 

しかし無視し難い真実というのが存在する。逃してはいけない現実というのがこの世にポツポツと跡を残してる。私はヒーローという言葉が死ぬほど嫌いだが、取り残されたその跡に遭遇するたびにその時ばかりはアベンジャーズエンドゲームにならざるを得ない。

私の好きな映画の台詞(アベンジャーズではない)に'私の一番の罪は彼を死なせたことじゃなくて、本当の彼を知らなかったことだ'というものがある。

届かない声、言えない言葉、見えない傷を文字の通り私が生まれ持った感覚では知り得ない。ただ存在することを忘れてはいけないということ。それは風に乗ってやってくる、朝起きたら聞こえてくる、拾ったゴミに書いてあるような、非現実なまま、あり得ないと信じたまま、それがわたしのそばで生きてるのが私は怖い。

 

 

晩ご飯れんこんのサラダ、なんかの揚げ物と揚げ物。
‪好きな店やクラブに行けないストレスでこんな思いするなら好きにならなければよかったみたいな激情型元カノのようなアレにならないようにと予防以外にもこうやって気をつけないといけないことがまたひとつ増え、桜は舞い、水面に溢れ落ち、沈下を知らぬまま、季節をこえてゆく、春ヨン