09132022

9時起床。ニコニコしながら起きた記憶。大体の人が忘れがちだと思うけど日本のテレビドラマは大体二幕に別れていて、一週間ずつ丁寧に見て、特番のせいで二週間先の8話とかにイライラするよりも、一幕を一年後に一気見するのがおすすめ。今朝がそれを物語る。
ロフトベッドの階段を10年ほど前に取っ払ってから、私は毎朝窓のサッシに足をかけて地面におりる。毎朝気をつけて下りたけど、10年で2回ほど怪我をした。毎朝気をつけて下りてるんです。人もロフトベッドから落ちるから。

朝ご飯、大根をおろしと鯖、キムチのスープ、白ご飯。
最近爪を計画的にのばすことができていて嬉しいのに、大根をおろしているときに全て間違いだったんじゃないかと一気に下向きの気持ちになる。綺麗に食べきれなかった鯖を見て、この間の会社の飲み会を思い出す。みんなより1時間遅れてついた自分が全く話についていけなくて、目の前にある三分のニ残ってる豚平を見つめ続けてて、そんな好きでもないけど一切れ、と思って箸で取ろうとすると、うまく切り分けられない。箸に力が入りすぎたせいで机の上で皿をバウンスさせて会話をぶった斬る。
人の悪口を聞く時の正解の顔がわからない。よく聞いてるフリをしたら良い人なのか、悪い人なのか。この人のことが実は好きなんですという日があれば、本当はこの人のことが苦手なんですという日があってもいいじゃんとは思いますが、悪を晒す人に向ける優しさなんてのはいらないと思います。

 

人はたまに大事なものを勇気を出してゴミ箱に捨てなくちゃいけないときがあるのを知っている。先日、自分がそのとき何を思うかはっきりわかったんですけど、'間違ったことをしたくない'というシンプルなもので、何が正しいかはわからないけど間違ったことだけはしたくない。それがゴミになることを平然と見送ることの方が私の中の圧倒的なミスなので、私は人が勇気を出してゴミ箱にいれたものをわざわざとりにもどるお節介を多分続けると思う。
そもそも人が何かを諦めるときは捨てるんじゃなくて実はどこかに預けたりしまったりするものだと思うから、好きな人たちの大事なものを一旦保管できる場所に自分がなれたらいい。
好きな人が忘れ物したり、無くし物したり、その日どこか遠くの宿泊施設に帰ってきても、住んでる家じゃなくても、私と同じ場所じゃなくても、無事でよかった!おかえり!と言えるところ目指す。
ほしい時は'探してるのってこれ?'って偶然みたいな顔で言えるようになること。

 

自覚のない時に発揮する魅力を見落とさない天才だから人を好きでいれてる気がする。
良いことの自覚がないことと、悪いことの自覚があることについて、人はもっと褒められるべきだと思う。
毎日それぞれの場所で戦わないといけないことの方が多いんだから、褒められて甘やかされて、ちょうどいい場所を探せたらよいですね。上とかプロじゃなくてね。

 

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