06302021

7:18起床。数分寝坊したときより、2分早起きした朝の方がバタつくのは5分でする爪のケアを2分に短縮しようとするから。朝ご飯、オムライス。兄が実家によこした「林檎ベーコン」とかいう解せないベーコンと、玉ねぎを炒める。文句を言う時間はないためあまり味わわないように、と食す前の自分に言い聞かせる。実家は弁当箱を包む風呂敷のバリエーションに長けていて、朝眼鏡をかけ忘れたまま支度をするため、柄はランチタイムのお楽しみとなる。汁物を持っていくときは頑丈にラップしていくので、ひとつも風呂敷を汚さない。食べるときは表側に弁当箱を置いて食べて満足するのだけど、弁当箱に巻く風呂敷は机を汚さないためではなかったかと考える。これは良い間違えではなくて良い異常。朝飯を終えたはずがコントロール不能の食欲が発生したので、いつかの自社のフルーツ食パンなるものを焼く。急いで起きた人の掛け布団みたいな形の一枚を見て、保存方法のガサツさに驚く。「パン食べるのか?」と独り言を言いながらバターを塗って食べました。

 

'計画に沿って動くと安心を得る'という話、わかる。
生活が面白いか否かではないということもだんだんと気付き始める。人間ってだいぶ昔から存在するらしいので、目に見えない事象に対してだってそれぞれに方程式がそれなりにあって、見聞きしやすい情報としてこの世にばら撒かれてネタバラしもいいとこ。それに従ってさえいれば、誰だってベーシックプランナー!みたいな洗脳に幾度と自由を奪われた気がする。

 

好きにしていいよ、なんて本当は誰も言ってくれなかった。好き勝手したときに孤独にならないためのガイドブックばかり読んだ気がするし、他人の常識っていう矛盾の言葉を受け入れることを常に求められていた気がする。これはレポートなんですけど、実は幸せになろうとする前に自分勝手であることは全然ありです。自分勝手はいいですよ。誰かのせいにする機会もないし、幸せを勘違いすることない。資金も資格も地位も関係なく、好きなだけ選んだものを好きになれます。望まなくても余分なものは削ぎ落とされていくメンタルのらくちんダイエット。異常ではあるけど間違いではないことが、この世には思った以上に多いと思うんです。


私は感じたことをなるべく生身の状態で思想に、あるいは言動に繋げようと気を遣ってる方なので、それを見た他人が、メンヘラ、社会不適合者、凡人、偉人とかいうことに関して「へぇ〜」という。だって血液型あてっこくらいどうでもいいし、タイプ化信者の行事をわざわざこちらになすり付けられてもお返しが見つからなくないですか?欲しいものは口で言え、謝ってでも欲しいなら謝ってくださいって土下座しろ、ってなったことないチンピラの私が言ってます。

嘘も頑張りも必要ない、ただ自分が思う素敵な自分がいられるようにつとめればいい、という嘘みたいな環境を易々と手に入れてしまったみたいで、早々に死なないか心配ではありますが近い未来のために飲んだり食べたりしてきます。あんたもな〜